2022年03月14日

3月14日の記事

瀬長島は豊見城の発祥の地とされ、琉球開闢の女神アマミキヨが豊見城に降臨した際、瀬長島に最初に降り立ったとされる島です。
 3月14日の記事
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1944年、米軍の沖縄上陸に備え小禄飛行場(現在の那覇空港)の防備を担う砲台と壕を構築するため、瀬長島の住民の退去命令がだされ住民の多くは沖縄本島北部(やんばる)に強制移住させられ、住民は移住先で食料不足で苦しめられたと聞きました
米軍は当時日本軍の小禄飛行場北部地区に艦砲射撃や空襲を行ったとされています。
1945年6月4日に小禄に上陸した米軍は、6月13日に瀬長島を制圧しました。
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1946年(昭和21年)に米軍に接収され、米軍基地「那覇空軍・海軍補助施設」の一部となった際、核兵器やサリンなど毒ガス兵器の弾薬庫施設が置かれ、住民は対岸の沖縄島へ移住を余儀なくされました。
 いまは、ホテルも建ち大勢の観光客が立ち寄る、沖縄の観光地のひとつになっている瀬長島。
不発弾の発見は、過去の悲しい歴史を思い起こす機会となりました。
那覇空港に近くのため不発弾の処理は航空機が飛ばない夜間の午後11時~翌午前3時(3月22日)までの間に行われるという。


Posted by 日本共産党・まえさと保 at 17:16│Comments(0)
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