2020年07月14日

琉球民遭難殺害事件の歴史から学ぶこと

那覇市の護国寺の境内に「台湾遭被害者之墓」が立っています。に1871年(明治4年)10月宮古島の貢納船が琉球王府へ年貢を納め、宮古島に帰る途中嵐に遭い遭難、1週間後台湾に流れ着いたものの乗組員69名の内3名が上陸の際波にさらわれ溺死、54名が原住民(パイワン族)に殺害され、12名が救出され生還した。琉球民遭難殺害事件が発端になり、その3年後の1974年(明治7年)の日本軍による台湾出兵(征台の役)を行い。牡丹社事件を起こしました。その後1894年の日清戦争をへて1895年台湾、遼東半島、澎湖諸島を奪い取った歴史へとつながっていま琉球民遭難殺害事件の歴史から学ぶこと
す。
 2005年加害者にあたるパイワン族の末裔にあたる遺族、関係者が沖縄県を訪問し、直接謝罪を行い和解の式典を行いました。2007年には屏東(へいとう)県牡丹郷(パイン族の居住地)が宮古島に「愛と和平の石像」の記念碑を寄贈するなど、お互いに理解と交流を深めるなどの努力を行って来ました。
 こうした台湾のパイワン族や関係者の方々の努力に頭が下がる思いがする。
琉球民遭難殺害事件の歴史から学ぶこと
 当時の大日本帝国は、琉球民遭難殺害事件を利用して,併合、琉球処分、台湾併合を行ってきた。
 日本は、台湾だけでなく、中国、朝鮮に対しても、軍事力で支配し蛮行を働いてきた歴史を持っています。しかし、真摯に歴史に向き合うことなく、いまだに対立と緊張関係を克服できていません。琉球民遭難殺害事件と言う過去の悲劇から、私たちは何を学ぶ必要があるのでしょうか。
 歴史と事実を謙虚に知ること、学ぶことがはじまりで、そして相互の理解が必要ではないでしょうか、そして初めて全てを水に流すことができ、未来に向かって互いに歩んでいけるのではないでしょうか。決して簡単な事ではありませんが、今こそ、互いの努力が求められています。
 日本と台湾、それぞれの和解「マブイの行方」(平野久美子著)は、沖縄と台湾の関係を学ぶ上でも最良の本だと思います。
 2021年は琉球民遭難殺害事件から150年目を迎えます。
 宮古の方言で魂は「タマス」です。



Posted by 日本共産党・まえさと保 at 18:27│Comments(0)
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