2021年05月15日

沖縄復帰49年、沖縄の不当な現実を未来へ未来へ

今日は復帰50年まであと一年となった。
私が高校1年生の時、沖縄は復帰した。「本土復帰」「祖国復帰」と言われた。小中学生の頃、教員だった父や母が「沖縄を返せ」を歌いながらデモや集会に参加するのを遠沖縄復帰49年、沖縄の不当な現実を未来へ未来へ
巻きに見て育ったものだ。
 暮らしが、米軍基地の問題が本土並みになると言われていたが現実に希望は打ち砕かれた。
「ありったけの地獄を集めた」また「鉄の暴風」とも言われた沖縄戦。その沖縄戦が終わっても27年間も異民族支配で、1955年の由美子ちゃん事沖縄復帰49年、沖縄の不当な現実を未来へ未来へ
件、59年の18名の児童らが犠牲となった宮森小学校米軍ジェツト機墜落、1965年米軍機からトレラー落下での少女圧死、68年嘉手納基地へのB52の墜落炎上、そして県民の命が虫けらのようにあつかわれたきた中での県民の怒りが爆発した70年のコザ騒動。そして72年の沖縄復帰。それから49年が経過した。復帰後の米軍犯罪は6068件、うち殺人、強盗、強姦などの凶悪犯は582件、米軍機墜落事故は49件に上ってい沖縄復帰49年、沖縄の不当な現実を未来へ未来へ
る。
 沖縄県民が復帰によって手にしたのは日本国憲法の平和主義と基本的人権。基地のに平和な島のはずだった。96年の県民投票では89。09%米軍基地の整理縮小を求め、2019年の県民投票では辺野古基地建設反対が7割を越えた。しかし民意が踏みにじられ、辺野古基地建設が進められ、宮古、石垣では自衛隊ミサイル基地建設が強行されている。県民の暮らしは、米軍依存から脱したが県民所得は依然として沖縄復帰49年、沖縄の不当な現実を未来へ未来へ
全国最下位、子どもの貧困率の割合も25%と全国で最も多くなっている。
 沖縄の現実は、復帰前と何ら変わっていない。政府が辺野古基地建設に、沖縄本島南部から戦没者の遺骨が含まれる可能性のある土砂を基地建設の埋め立てに使うという、沖縄県民は日米の安全保障のための犠牲を求めるやり方は、戦没者と遺族を踏みにじる姿勢の表れだ。
 私たちは、沖縄に生きる責任として、基地のない平和な沖縄を未来に残すために歩み続ける。



Posted by 日本共産党・まえさと保 at 15:03│Comments(0)
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