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Posted by TI-DA at

2021年08月23日

南西諸島の軍事要塞化で平和を守れない


0%;">防衛省は、沖縄本島の勝連半島の陸上自衛隊勝連分屯地に180人規模の地対艦ミサイル部隊を配備することを明らかにしている。宮古島、石垣島、奄美大島に続いて第一列島線となる南西諸島への地対艦ミサイル部隊の配備となる。
沖縄本島と宮古島の間の約300㎞の公海となる宮古海峡を通過する中国艦船の通行を阻止すべく宮古島と沖縄本島からミサイルでにらみを
きかすことになる。
中期防衛力整備計画(平成 31 年度~平成 35 年度)で南西諸島防衛のさらなる強化することを打ち出し、相手方の射程距離の外から対処可能なスタンド・オフ・ミサイルの整備と島嶼防衛用高速滑空弾、新たな島嶼防衛用対艦誘導弾及び極超音速誘導弾の研究開発を推進することを打ち出しています。これははるかに、防衛の範囲を超えて敵地攻撃能力を備えることを意味しています。さらに、那覇駐屯地と知念分屯地につづいて与那国島に電子部隊を配備するとしています。
こうした事態は、対中国を念頭にして力ずくで押さえ込もうという政策に他ならず、一触即発の軍事の緊張を作り出すことになります。またしても、沖縄を足場にした戦争の構図といわなければなりません。
沖縄を軍事要塞にしてはならない、対話による外交が求められています。野党共闘で総選挙での政権交代を勝ち取ることが求められています。
こうした中で開催される「島々シンポジュウム」は多くの方々にも是非ご視聴頂きたいと思います。
●日時 2021年9月12日(日)14時~
*場所 公開・ZOOM ビデオウェビナーによるシンポジウム      
(入場無料・カンパ歓迎。先着1000人の事前登録制。すでに登録済みの方は、登録なしで参加可)
*主催 「島々シンポジウム」実行委員会
*申し込み用アドレス(登録リンク)
https://us06web.zoom.us/webinar/register/WN_QzYB3LT_QR28nuBpILHMpw

  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 16:30Comments(0)

2021年05月15日

沖縄復帰49年、沖縄の不当な現実を未来へ未来へ

今日は復帰50年まであと一年となった。
私が高校1年生の時、沖縄は復帰した。「本土復帰」「祖国復帰」と言われた。小中学生の頃、教員だった父や母が「沖縄を返せ」を歌いながらデモや集会に参加するのを遠
巻きに見て育ったものだ。
 暮らしが、米軍基地の問題が本土並みになると言われていたが現実に希望は打ち砕かれた。
「ありったけの地獄を集めた」また「鉄の暴風」とも言われた沖縄戦。その沖縄戦が終わっても27年間も異民族支配で、1955年の由美子ちゃん事
件、59年の18名の児童らが犠牲となった宮森小学校米軍ジェツト機墜落、1965年米軍機からトレラー落下での少女圧死、68年嘉手納基地へのB52の墜落炎上、そして県民の命が虫けらのようにあつかわれたきた中での県民の怒りが爆発した70年のコザ騒動。そして72年の沖縄復帰。それから49年が経過した。復帰後の米軍犯罪は6068件、うち殺人、強盗、強姦などの凶悪犯は582件、米軍機墜落事故は49件に上ってい
る。
 沖縄県民が復帰によって手にしたのは日本国憲法の平和主義と基本的人権。基地のに平和な島のはずだった。96年の県民投票では89。09%米軍基地の整理縮小を求め、2019年の県民投票では辺野古基地建設反対が7割を越えた。しかし民意が踏みにじられ、辺野古基地建設が進められ、宮古、石垣では自衛隊ミサイル基地建設が強行されている。県民の暮らしは、米軍依存から脱したが県民所得は依然として
全国最下位、子どもの貧困率の割合も25%と全国で最も多くなっている。
 沖縄の現実は、復帰前と何ら変わっていない。政府が辺野古基地建設に、沖縄本島南部から戦没者の遺骨が含まれる可能性のある土砂を基地建設の埋め立てに使うという、沖縄県民は日米の安全保障のための犠牲を求めるやり方は、戦没者と遺族を踏みにじる姿勢の表れだ。
 私たちは、沖縄に生きる責任として、基地のない平和な沖縄を未来に残すために歩み続ける。
  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 15:03Comments(0)

2021年05月13日

疑惑のミサイル基地は撤去

 宮古島市の下地敏彦前市長が自衛隊基地建設に絡む「収賄容疑で逮捕」されたとの報道が沖縄タイムス、琉球新報の一面で報道されました。逮捕は、以前から噂されていたが、沖縄県警の地道な努力が実った。
 2016年当時の宮古島市長であった下地敏彦は市民の声に耳を傾けることもなくミサイル基地建設の受け入れを表明。当初は大福牧場一帯に、警備部隊、ミサイル部隊、隊舎建設などが強行される形で推進されてきた。ところが、それ以前に防衛局との懇談(2015年)の中で、市長から「千代田カントリークラブ(CC)を中心に事業を進めて欲しい」と受け入れの前提が、今回問題になった千代田CCとなっています。
 その結果2017年に着工、19年警備部隊380人が配置され、20年には地対艦・地対空ミサイル部隊が配置、計700人体制となった。
 千代田の自衛隊が取得した22㌶の内、21㌶は8億円で購入させたことになります。そして業者から見返りに650万円を受け取った収賄容疑です。
 

当初から、当時の下地市長が自分の親族の所有する千代田CCの土地を売却したいとの考えは、公然たる秘密でした。
 だから、沖縄県の公園予定地だった千代田CC一体を、沖縄県に売るより、「防衛は国の専権事項」などと言って防衛省に高く売りつけその甘い汁にありつきたいとの思惑があったのでしょう。島を売り渡した下地敏彦前市長の犯罪は重大です。同時に、チーム沖縄の下地敏彦を推してきた自民党、公明党の責任も重大です。
 防衛省も、そうした事情を理解して、購入したに違いありません。疑惑にまみれたミサイル基地では、住民の平和と安全を守れないことははっきりしています。
 ミサイル基地を、宮古から撤退させて、平和で自然豊かな宮古島を取り戻しましょう。
  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 14:27Comments(0)

2021年04月23日

豊見城民報1523号


  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 10:43Comments(0)

2021年04月05日

「遺骨を含む土砂の埋め立ては許されない」との声と運動が広がっていく


0%;">私は、3月26日市議会に「沖縄戦の戦没者の遺骨等を含む可能性のある土砂を埋め立に使用しないよう求める意見書」を他の与党議員(共産党5名、真新会2名)とともに議員提案で提案した。この当たり前ともいえる意見書が否決されたことに若者が怒りの声をあげました。土砂採取断念と臨時議会を開き、「沖縄戦の戦没者の遺骨を含む可能性のある土砂を埋め立てに使わない」ことを求める意見書の採択を求めています。若者達は豊見城市役所前 で抗議行動に入りました。市民が多数訪れて激励、署名をしています。


 行動の中心になっている金城さんは、トマト農家で、人工透析を受けています。農作業の合間を見て、週3回の人工透析の合間の中で行動に参加しています。

行動の初日には、多くのの市民とともに、ガマフヤーの具志堅隆松さん、フォトジャーナリストの安田菜津紀さん、元豊見城市議長の大城英和さんもも駆けつけ激励していただきました。
 就職で豊見城市を離れたという女性は、「私は故郷の豊見城を誇りに思っています。この豊見城で、遺骨を含む可能性のある土砂を埋め立てに反対しないのはおかしい,恥ずかしいと言う気持ちで参加しました」と話していました。
沖縄県民の誇りにかけて、遺骨を含む可能性のある土砂を埋め立てに使わせるわけにはいかない。
  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 16:47Comments(0)

2021年03月27日

土砂搬入で無念の死と遂げた戦没者の冒涜は許さない

沖縄本島南部地域には、沖縄戦で無念の死を遂げた御霊が眠っています。この地を掘り起こして、辺野古基地建設の「埋め立てに使うな」ということは、米軍基地建設賛成、反対を越えたウチナンチュの思いです。
 豊見城市議会で、「遺骨が含まれる可能性のある土砂を埋め立てに使うな」という意見書を上げました。

 ところが、賛成8(共産党5、真新2、公明1)反対9(自民党会派とZERO)の反対多数(退席4)で否決されるという、大変残念な結果となりました。文書は、全会一致をめざしかなり調整も行いましたが、自民派は4人が反対討論立ち「業者が風評被害に遭っている」「感情論だ」などと主張。とても遺族
や県民の思いに寄り添っている議員とは思えません。
国・防衛局が南部の沖縄戦で無念の死を遂げた「遺骨等の含まれた土砂を埋め立て工事に使うな」と何故いえないのか。
政治家として問われています。
3月26日は、76年前米軍が慶良間諸島に上陸、沖縄戦が始まりました。沖縄戦の末期、住民は日本軍と共に追い詰められ、激しい戦闘や強制集団自決で沢山の命が奪われたのが、沖縄本島の南部です。糸満市の南部にある魂魄の塔は、幾多の遺骨を収集し供養した墓標となっています。しかし、周辺には収集できないほどの遺骨が広がっていたと言います。
 6月23日は76回目の慰霊の日、死者を冒涜する国・防衛局のやり方、それを支える政治を絶対許さない。
  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 15:17Comments(0)

2021年03月11日

震災から10年、誰一人取り残さない日本を

未曾有の犠牲者を出した東日本大震災、原発事故から、10年を迎えました。犠牲になられた方々のご冥福を、被災された方々へお見舞いを申し上げます。もう10年、まだ10年、被災された多くの方々が、震災前の日常を取り戻せないで
います。被災者に寄り添った支援と生業の復興が求められています。
 また、震災で改めてそのエネルギーをコントロールできずに放射能汚染を拡散した原発についても廃炉とあわせて、原発ゼロの日本に舵を切ることが求められています。

 10年前、私は、日本共産党沖縄県議団と共に宮城県石巻市に災害ボランティアとして、泥書きや、支援物資の配給作業など少しばかりのお手伝いをさせていただいた。
 瓦礫の街と化した被災地、ビルの屋上に流された車が打ち上げられている様を見ながら、被災された方々の心中を察すると言葉も出なかった。ある方の家の泥だしをしていく中で、少しづつ当時の状況を話していただいた高齢者の方を今でも忘れることが出来ない。
 今後も大震災が起きることが予想されています。災害対策が叫ばれるようになりました。しかし一方で宮古島や石垣など南西諸島一帯にミサイル部隊を含む自衛隊が大幅に増強されている。最大の安全保障は、国民の命と安全を守り抜くことであるならば、軍事力の強化をやめ自衛隊の半分を災害救助隊に編成して、災害に備えることではないだろうか。備えあれば憂いなしとはそのことを言うのだと思う。

  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 15:33Comments(0)

2021年03月10日

また下地島自衛隊使用論は許されない

2020年8月の自民党国防議連の下地島空港の自衛隊使用要望に続いて、今度は岸防衛大臣が5日に開催された参議院予算委員会で自民党佐藤政久議員の質問に答えて、下地島空港の航空自衛隊使用について「今後省庁間で、相
談してまいりたい」と今後、検討する事を述べたことが報道されました。
 下地島空港は民間航空機の訓練場として建設され、そのために空港使用にあたっては、軍事利用しないとの1971年の屋良覚書で明確に示さ
れています。
現在同空港は、スカイマークなど民間航空機が、東京、那覇などからの到着する新たな民間空港です。また、民間航空会社の訓練場としても活用されています。下地島空港使用について自民党国防議連の会合では、防衛省の担当者から「現段階で航空自衛隊の基地として使う考えはない」
との見解が示されているにもかかわらず、力ずくでも、下地島空港を自衛隊基地にしたいとの自民党の考えが表れている。宮古島のミサイル基地建設、弾薬庫建設、南西諸島を軍事要塞にして、一触即発の状況を作り出すことは許されない。
  

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 16:34Comments(0)