2017年08月08日

米軍基地あるが故に核の恐怖に晒されてきた沖縄

国連で採択された核兵器全面禁止条約の採択は、核兵器と核戦争のない世界をめざす私達に限りない大きな確信を与えました。
米軍基地あるが故に核の恐怖に晒されてきた沖縄
 振り返れば沖縄の歴史も米軍基地と核兵器の不安に晒されてきました。
 1954年3月1日米国はビキニ環礁で水爆実験を行い第五福竜丸事件は多くに知られているところですが、この当時、全国で992隻の船が汚染マグロを廃棄しました。ところが米軍占領下にあった沖縄では米軍が事実を公表することを許しませんでした。
米軍基地あるが故に核の恐怖に晒されてきた沖縄
復帰後、判明した大鵬丸と銀嶺丸の2隻の68名の乗組員の調査で17人が40代半ばから50歳代で亡くなっておりそのうち11名がガンで亡くなったとの調査が明らかになっています。
沖縄は、復帰前、米軍基地に1300発もの核兵器が貯蔵され、1962年のキューバ危機の際には、読谷核ミサイル基地から発射命令も出されていたことも明らかになっています。
米軍基地あるが故に核の恐怖に晒されてきた沖縄
 辺野古新基地建設が進められているキャンプ・シュワブ基地の中には、弾薬庫があり、以前は核巡航ミサイルメースBが配備されていました。 米国防総省が、2015年公開した文書の中で、沖縄の日本復帰後も「米国は…危機の際に核兵器を再持ち込みする権利を維持している」と明記していることが分かりました。
 沖縄の米軍基地の中に核兵器が存在しないと誰も言い切れないのです。
 沖縄は、戦後米軍基地と核の不安の中での生活を余儀なくされてきました。だからこそ、悪魔の兵器である核兵器禁止条約の有効あるものにしていく、核の恐怖から解放されるためにも各国での採択と批准の取り組みが、求められていると思います。

Posted by 日本共産党・まえさと保 at 10:46│Comments(0)
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